概要
大内義隆は、周防国の在庁官人で、大内氏の第16代当主です。周防・長門・安芸・石見・筑前・豊前の守護を務めました。
少弐資元を討ち、大友義鑑と和睦して北九州の支配を安定させました。
文学・学問を好み、明や朝鮮との交易を行なって「一切経」等の文物を輸入し、またザビエルを引見し、山口でのキリスト教布教を許可するなど文化の普及・発展に貢献しました。
重臣陶晴賢の謀反にあい、長門大寧寺で自刃します。義隆の実子の大内義尊も陶軍の手によって殺害され、義隆・義尊の死により事実上、周防大内氏は滅亡しました。
簡易年表
- 1507年 1歳 中国・九州4ヶ国の太守である、大内義興の嫡男として生まれる。
- 1528年 22歳 父が死去したため、家督を相続する。
- 1534年 28歳 九州探題の渋川義長を攻め渋川氏を滅亡させる。
- 1536年 30歳 龍造寺氏とともに少弐資元を討って少弐氏を滅亡させる。
- 1540年 34歳 安芸へ侵攻してきた尼子氏と戦う。
- 1541年 35歳 安芸武田氏・友田氏を滅ぼして安芸を支配。
- 1542年 36歳 出雲の尼子晴久を攻めるが大敗。
- 1547年 41歳 天竜寺の策源周良を大使に任じ、最後の遣明船を派遣する。
- 1550年 44歳 山口に来たフランシスコ・ザビエルと面会する。
- 1551年 45歳 家臣・陶隆房の謀反にあい、長門深川の大寧寺に逃亡するが自害。