概要
豊臣秀吉は、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした三英傑の一人です。
織田家の足軽木下弥右衛門の子として誕生したといわれていますが、その出自には諸説あり、はっきりしたことは分かっていません。若い時分より家を出て物売りをしながら放浪し、後に織田信長に仕えて軍功によって重用されました。
本能寺の変後、明智光秀を討ち、織田家の後継者を決める清洲会議で信忠の嫡子・三法師を擁し、織田家の実権を握っていきます。そのなかで、徳川家康と対立するものの、妹や母を人質にすることで配下に収めることに成功し、天下統一の戦を進めました。一方で、朝廷より最高の官位である関白を得て、後に豊臣姓を賜って太政大臣となり、関白を養子秀次に譲り太閤と称しました。
四国・九州・関東・奥羽を征して天下統一を果たした秀吉は、次に朝鮮半島への出兵を行いますが、戦果があがらないまま、伏見城で病没します。
検地や刀狩りを実施し、兵農の分離を徹底するなど、幕藩体制に至る基礎を築きました。
簡易年表
- 1537年 1歳 木下弥右衛門の子として生まれる。
- 1554年 18歳 織田信長に仕える。
- 1560年 24歳 桶狭間の戦いに参戦する。
- 1574年 38歳 近江長浜城の城主となる。
- 1582年 46歳 毛利方と講和し、織田信長の仇、明智光秀を討つ。
- 1583年 47歳 大坂城を築城し、居城とする。
- 1586年 50歳 太政大臣となり、朝廷から豊臣姓を与えられる。
- 1587年 51歳 京都・北野天満宮にて大茶会を催す。
- 1590年 54歳 北条氏政・北条氏直父子を降伏させ、天下統一が果たされた。
- 1592年 56歳 朝鮮出兵。
- 1594年 58歳 大阪城から伏見城に入城する。
- 1596年 60歳 2度目の朝鮮出兵。
- 1598年 62歳 伏見城にて死没。