概要
今川義元は、駿河国及び遠江国の守護大名で、今川氏第11代当主です。兄氏輝の死で駿河・遠江を領国とする家督を継ぎました。
商業保護や流通統制を行い、寄親寄子制度による家臣団の結束強化を図るなど優れた行政改革を進めました。また、駿河、遠江、三河において検地を実施し、増分により財政を強化させ、今川家の全盛時代を築きました。
北条氏康、武田信玄と三国同盟を結んで東方を安定させたのち、尾張に侵入しますが、織田信長の奇襲をうけ、桶狭間で討死しました。
簡易年表
- 1519年 1歳 駿河国の守護、今川氏親の五男として生まれる。
- 1522年 4歳 臨済宗の駿河富士郡瀬古の善徳寺に預けられる。
- 1535年 17歳 氏輝の命を受けて京都より駿河に戻るり、還俗して義元と名乗る。玄広恵探と家督を争い、花倉城を陥落させ勝利。
- 1537年 19歳 甲斐国の守護・武田信虎の娘を正室に迎え、武田氏と同盟を結ぶ。
- 1542年 24歳 三河国の諸侯軍と連合して織田信秀軍と戦い、敗れる。
- 1545年 27歳 上杉憲政と同盟を結び、北条氏康と戦う。勝利し、北条家と和睦。
- 1548年 30歳 織田信秀軍が進攻。太原雪斎らが撃退し、織田家を三河国から駆逐。
- 1553年 35歳 父の定めた今川仮名目録に追加法(仮名目録追加21条)を加える。
- 1554年 36歳 氏真の妻に北条氏康の娘を迎え、武田・北条と甲相駿三国同盟を結ぶ。
- 1555年 37歳 第二次川中島の戦いで信玄と謙信の仲介を行って両者の和睦を成立。
- 1558年 40歳 家督を氏真に譲り隠居する。
- 1560年 42歳 尾張国への侵攻を開始。桶狭間山で織田信長の急襲を受け討ち死。