概要
毛利元就は、毛利氏の第12代当主で、安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大した戦国大名です。
中国地方の覇者となり「謀神」「謀将」と評されますが、「戦国最高の知将」とも評されています。
用意周到かつ合理的な策略及び危険を顧みない駆け引きで自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高く、子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられる人物です。幼少時の辛苦から学んだ忍従の人生訓が盛られた家訓は、組織の維持に資するものとして今なお重宝されています。
元就が生涯に経験した合戦の数は、公式な書類などで判明しているだけでも200以上にのぼり、これは日本の戦国時代のみならず、世界の英雄伝においても稀な記録といえます。
簡易年表
- 1497年 1歳 安芸の国人領主、毛利弘元の次男として誕生。
- 1507年 11歳 家臣の井上元盛に所領を横領され、多治比猿掛城から追われる。
- 1511年 15歳 元服し、多治比元就と名乗る。
- 1516年 20歳 兄の急死により、その嫡男・幸松丸の後見人となる。
- 1517年 21歳 佐東銀山城主・武田元繁が吉川領の有田城へ侵攻。初陣で勝利する。
- 1546年 50歳 長男隆元に家督を譲る。
- 1554年 58歳 陶晴賢に反旗を翻す。進軍してきた晴賢重臣の宮川房長を討ち取る。
- 1555年 59歳 大軍を率いた陶晴賢に奇襲を仕掛け殲滅。陶晴賢を自刃に追い込む。
- 1557年 61歳 隆元、元春、隆景に教訓状をしたためる。
- 1566年 70歳 月山富田城を攻略。尼子氏滅亡。
- 1571年 75歳 吉田郡山城において死去。死因は老衰とも食道癌とも言われる。