概要
上杉謙信は、越後国の守護大名で、山内上杉家16代当主です。自ら毘沙門天の化身であると称したため軍神にも例えられました。
上杉家の下で越後国の守護代を務めた長尾氏出身で、兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継ぎました。のちに関東管領上杉憲政から家督を譲られ、上杉氏が世襲する室町幕府の重職関東管領に任命されました。
内乱続きであった越後国を統一し、産業を振興して国を繁栄させました。
他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、49年の生涯の中で武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げました。
特に5回に及んだとされる武田信玄との川中島の戦いは、たびたび物語などに描かれ、後世にまで語り継がれています。
簡易年表
- 1530年 1歳 越後国守護代長尾為景の末子として、春日山城で誕生。
- 1543年 14歳 長尾家領統治のため元服し、栃尾城に移り城主となる。
- 1544年 15歳 反長尾派の豪族連合に栃尾城を攻められるが撃退。初陣を飾る。
- 1548年 19歳 守護上杉定実の調停により、守護代長尾家を相続。越後守護代となり、居城を春日山城に移す。
- 1550年 21歳 上杉定実死去により、将軍足利義輝から越後国主の地位を与えられる。
- 1553年 24歳 信濃諸将の要請を受け、武田信玄軍と対決。第一次川中島の戦。
- 1555年 26歳 武田軍と川中島で対峙するが決着がつかず。第二次川中島の戦。
- 1557年 28歳 信濃侵略をすすめていた武田信玄の討伐に向かう。第三次川中島の戦。
- 1561年 32歳 北条氏に追われた上杉憲政の要請を受け、小田原城を攻める。1万3000の兵を率いて川中島に出陣する。第四次川中島の戦。
- 1564年 35歳 信玄に攻略された野尻城を奪還し、川中島で対峙。第五次川中島の戦。
- 1578年 49歳 春日山城で倒れ急死。死因は脳溢血と見られる。