概要
山本勘助は、武田信玄に仕えた武将で軍事の天才といわれています。三河牛窪の出身で、板垣信方の推挙によって信玄に仕えるようになり、次第に認められて足軽大将五人衆と称されるようになりました。
信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたとして有名な第四次川中島の戦で、作戦を指揮して失敗した責任を取って討ち死にしたといわれています。
簡易年表
- 1493年 1歳 駿河国富士郡山本の吉野貞幸と安の三男として生まれる。三河国牛窪城主牧野氏の家臣大林勘左衛門の養子になる。
- 1543年 51歳 武田信玄に知行200貫で召抱えられる。
- 1550年 58歳 戸石城攻防戦で活躍し、知行800貫の足軽大将となる。
- 1559年 67歳 信玄にならって出家し、法号を道鬼斎と名乗る。
- 1560年 68歳 上杉謙信に備えるべく北信濃に海津城を築く。
- 1561年 69歳 「啄木鳥戦法」を謙信に見抜かれ、急襲され討ち死にする。