徳川家康 簡易年表

概要

徳川家康は、江戸幕府の初代征夷大将軍で、海道一の弓取りの異名を持つ三英傑の一人です。
岡崎城主・松平広忠の長男として誕生し、幼少時に織田・今川の人質となりますが、桶狭間の戦で今川義元が織田信長に討たれると、旧領を取り返すべく岡崎城へと入りました。
やがて、三河を回復すると今川から独立し、信長と清洲同盟を結び、勢力を拡大していきます。
長らく敵対していた武田家を信長の助力を得て滅ぼし、駿河も手に入れ三国の大名となりました。

信長亡き後、豊臣秀吉と対立しますが和睦し、秀吉の天下統一に協力します。秀吉の死後、関ヶ原の戦いにおいて対抗勢力に勝利し、征夷大将軍となり、江戸幕府が誕生します。大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、名実共に天下を統一して幕府の基礎を固めました。

簡易年表

  • 1542年 1歳 三河国岡崎城主、松平広忠の長男として生まれる。
  • 1548年 7歳 人質として今川氏に向かう途中、織田信秀に連れ去られる。
  • 1549年 8歳 人質交換として今川氏へ送られる。
  • 1555年 14歳 元服して次郎三郎元信と名乗る。
  • 1558年 17歳 今川義元の命で寺部城の鈴木重辰を攻める 。初陣。
  • 1561年 20歳 今川義元が、織田信長の奇襲にあい討死。故郷の岡崎城に入る。
  • 1562年 21歳 清洲城を訪問し織田信長と同盟を結ぶ。
  • 1572年 31歳 武田信玄の上洛戦途上、三方ヶ原の戦で大敗。
  • 1586年 45歳 豊臣秀吉との和議成立。
  • 1590年 49歳 秀吉からの移封命令に従い、武蔵国江戸城を居城とする。
  • 1600年 59歳 関ヶ原の戦で西軍に勝利。
  • 1615年 74歳 大阪城を落城させ、豊臣氏を滅ぼす。
  • 1616年 75歳 駿府城にて死去、久能山に葬られる。
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