戦国語り

戦国武将の性格や趣味、家紋や甲冑など、人物データを完全網羅!戦国時代の豆知識もいろいろ紹介。

  • 2月 16, 2020

豊臣秀吉、敵兵をあわれむ

織田信長の後継者問題で対立していた豊臣秀吉と柴田勝家による賤ケ岳の戦いでのことです。 余呉湖西岸で、佐久間盛政軍と秀吉軍の激闘が繰り広げられました。 両軍の死者は合わせて8千人にものぼり、流れ込んだ血で余呉湖全体が赤く染まるほどだったといいます。 この戦いに決 […]

  • 2月 16, 2020

敵城にお泊り、伊達政宗

関ヶ原の戦いの発端となる会津征伐が行われたときのことです。 家康と上杉の戦いがあることを知った伊達政宗は、秀吉に会津を奪われた因縁から家康側につくことにしました。 しかし、開戦が急に決まったため、大阪にいた政宗はわずか50騎ほどで仙台に向かうことになりました。 […]

  • 2月 16, 2020
  • 2月 16, 2020

戦国武将一覧

武将データ記事掲載済みの武将名です。 画像をクリックすると武将データ記事へ飛びます。 記事内にその武将に関連する他の記事へのリンクを設置しておりますので、ご興味のある記事がありましたら、ぜひご覧になってください。 あ 明智光秀 あけち みつひで 今川義元 いま […]

  • 2月 15, 2020
  • 2月 16, 2020

真田幸村という名の武将はいなかった

真田幸村は大坂の陣で徳川家康を切腹寸前にまで追い詰め、「日本一の兵(つわもの)」として他大名からも高く評価された人物です。 そして江戸時代には、娯楽作品に勇猛果敢な活躍が描かれ、庶民の人気を集めました。 ところが、真田幸村が周りから「幸村」と呼ばれたことはなく […]

  • 2月 15, 2020
  • 2月 16, 2020

豊臣秀吉は「さる」と呼ばれていなかった

豊臣秀吉が主君織田信長に「猿」と呼ばれて喜々として返事をする姿は、創作物によく登場するおなじみのシーンで、本やテレビで見たという方も多いでしょう。 しかし、信長に秀吉がそう呼ばれたという記録は残っていません。 信長が秀吉の妻ねねに送った手紙には秀吉のことを『は […]

  • 2月 15, 2020
  • 2月 16, 2020

毛利元就の「三本の矢の教え」は創作だった

毛利元就の有名な逸話に「三本の矢の教え」があります。 病床に伏していた元就は、死の間際に三人の息子を呼びました。 長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景それぞれに一本の矢を渡し、「その矢を折ってみよ」といいました。 三人は難なくその矢を折りました。 すると今度 […]

  • 2月 15, 2020
  • 2月 16, 2020

上杉謙信は塩を送っていなかった

「敵に塩を送る」ということわざがあります。 敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けてあげるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。 1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれていた三国同盟を破り、駿河に […]

  • 2月 15, 2020

織田信長が最初に謀反を疑った意外な人物とは

本能寺で宿泊していた織田信長が、謀反に気付いて最初に名前を挙げたのは意外な人物でした。 明け方午前4時頃に、急にあたりが騒がしくなり目を覚ました信長ですが、信長も小姓衆もこの喧噪を最初は下々の者の喧嘩と思っていました。 しかし、しばらくすると鬨の声が上がり、御 […]

  • 2月 15, 2020

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちはあったのか?

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたということはあまりにも有名な話です。 川中島の古戦場には馬上から剣を振り下ろす謙信とそれを軍配団扇で受け止めようとする信玄の銅像が立っています。 しかし、この一騎打ちが本当に行われたのか疑問視されています。 […]

  • 2月 13, 2020
  • 2月 15, 2020

伊達政宗の甲冑・黒漆五枚胴具足の話

伊達政宗の兜はアメリカ好み!? 「伊達男」という言葉があります。 派手な衣装を好む者、粋な者といった意味があり、伊達政宗が由来であるといわれていますが、それは誤りです。 もともと「男だて」という言葉があり、男らしく振舞うといった意味で使われていました。そして、 […]