真田幸村 簡易年表

概要

真田幸村は、信濃上田城主真田昌幸の次男として生まれました。武田家の家臣であった真田家ですが、武田氏が滅ぶと父昌幸が独立。これにより、幸村は上杉景勝や豊臣秀吉の下での人質生活を余儀なくされます。

関ヶ原の戦いでは、父と幸村は西軍に兄信之は東軍へと袂を分かつことになりました。上田城で徳川秀忠の率いる別働隊を足止めする活躍をしますが、西軍はわずか一日で敗北。紀伊国九度山に流されました。
その後、豊臣秀頼の招きに応じて大坂入城を果たします。

大坂冬の陣が始まると真田丸と呼ばれる出城を築き、鉄砲隊を用いて徳川勢を撤退させました。一旦和議が結ばれるも再戦となり、幸村は騎馬隊を率いて大軍を突破し、ついに家康本陣にまで突入しました。しかし数度に渡る突撃で部隊は消耗し、兵力で勝る徳川勢に押し返されて、真田勢は敗れ、安居神社の境内で松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に討ち取られました。

簡易年表

  • 1567年 1歳 信濃国上田城主、真田昌幸の次男として生まれる。
  • 1585年 19歳 上杉景勝の人質となる。
  • 1586年 20歳 豊臣秀吉の人質となる。
  • 1590年 24歳 小田原の役で初陣。
  • 1600年 34歳 関ヶ原の戦いで敗北。九度山に配流される。
  • 1612年 46歳 出家し、好白と名乗る。
  • 1614年 48歳 豊臣秀頼の呼びかけに応じ、大阪冬の陣、真田丸で活躍。
  • 1615年 49歳 大坂夏の陣、徳川家康本陣に突撃し家康を追い詰めるが、討死。
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