大内義隆

末世の道者・大内義隆の簡易年表

概要

周防国の在庁官人・大内氏の第31代当主です。

周防介、左京大夫、大宰大弐、伊予介、兵部卿などを歴任し、従二位まで昇りました。

父の死により家督を継ぎ、周防・長門・安芸・石見・筑前・豊前の守護となります。

少弐資元を討ち、大友義鑑と和睦して北九州の支配を安定させました。

文学・学問を好み、明や朝鮮との交易を行なって「一切経」等の文物を輸入し、またザビエルを引見し、山口でのキリスト教布教を許可するなど文化の普及・発展に貢献しました。

天文20(1551)年、重臣陶晴賢の謀反にあい、長門大寧寺で自刃します。

義隆の実子の大内義尊も陶軍の手によって殺害され、義隆・義尊の死により事実上、周防大内氏は滅亡しました。

簡易年表

  • 1507年 1歳 中国・九州4ヶ国の太守である、大内義興の嫡男として生まれる。
  • 1524年 18歳 この頃から父に従い、安芸に出陣する。
  • 1528年 22歳 父が死去したため、家督を相続する。
  • 1530年 24歳 九州に出兵し、少弐氏を攻めるが大敗。
  • 1534年 28歳 大友氏の本拠である豊後を攻略しようとするが失敗。
  • 1534年 28歳 九州探題の渋川義長を攻め渋川氏を滅亡させる。
  • 1536年 30歳 龍造寺氏とともに少弐資元を討って少弐氏を滅亡させる。
  • 1538年 32歳 将軍・義晴の仲介で大友義鑑と和睦する。
  • 1540年 34歳 安芸へ侵攻してきた尼子氏と戦う。
  • 1541年 35歳 安芸武田氏・友田氏を滅ぼして安芸を支配。
  • 1542年 36歳 出雲の尼子晴久を攻めるが大敗。
  • 1547年 41歳 天竜寺の策源周良を大使に任じ、最後の遣明船を派遣する。
  • 1548年 42歳 龍造寺胤信と同盟を結ぶ。
  • 1550年 44歳 山口に来たフランシスコ・ザビエルと面会する。
  • 1551年 45歳 家臣・陶隆房の謀反にあい、長門深川の大寧寺に逃亡するが自害。