北条氏康

北条氏康の人物像、年表、逸話、名言をわかりやすく紹介

北条氏康(ほうじょう うじやす)は、相模国の戦国大名で後北条氏第3代目当主です。

侵攻してきた扇谷上杉氏を元服直後の初陣にもかかわらず大将として迎え撃ち大勝するなど、若い頃から武勇に優れた名将でした。

あらゆる戦いで決して引くことがなく、氏康の体には無数の傷がありましたが、背中には一つもなかったといいます。

『甲斐山中合戦』、日本三大夜戦として数えられる『河越の戦い』などで戦功を重ね、武田氏、今川氏との間に『甲相駿三国同盟』を結ぶなど、関東での北条氏の地位を確立しました。

内政にも力を注いでおり、領内の検地や税制改革を行って領民の負担を軽減することに尽力し、また、誰もが不法を訴えることができるように目安箱を設置するなど、領民の信頼を得る善政をしきました。

北条氏康の家系

北条を名乗るようになったのは父の氏綱の代からです。

関東の制覇を目指し、代々鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏にあやかり付けたといいます。後に区別するため、「後北条」と呼ばれました。

後北条初代の早雲が生前に使用していた名は、伊勢長氏といいます。

伊勢氏は、桓武平氏惟将流の氏族で、室町幕府の政所執事(財政を司る機関の長官)という上級官僚を代々務めました。

北条氏康の容姿

血液型はO型といわれています。

北条氏康の家紋

北条鱗定紋として使用していたのは、「北条鱗(三つ鱗)」です。

戦国武将の家紋「北条鱗(三つ鱗)」の由来と逸話

替紋には、祖父・早雲が定紋としていた「北条対い蝶」を使用しました。

北条氏康の簡易年表

  • 1515年(1歳)後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。
  • 1529年(15歳)元服
  • 1530年(16歳)初陣の小沢原の戦いにて大勝。
  • 1541年(27歳)父・氏綱の死去により家督を継ぐ。
  • 1546年(32歳)山内・扇谷上杉が連携して河越城を包囲。これを夜襲にて破る。河越城の戦い。
  • 1554年(40歳)武田・今川と同盟関係を結ぶ。甲相駿三国同盟。
  • 1559年(45歳)息子の氏政に家督を譲って隠居する。
  • 1561年(47歳)上杉謙信が10万余の兵で小田原城を包囲。これに籠城にて耐え、謙信は撤退。
  • 1566年(52歳)これ以降は実質的にも隠居し、息子たちに戦を任せるようになる。
  • 1571年(57歳)病のため、小田原城で没する。