上杉景勝の実父は、上杉謙信の義兄・長尾政景です。
政景と謙信は仲が悪く、上杉家の家督を巡って対立していました。
1564(永禄7)年、政景を生かしておくと憂いになると判断した謙信は、腹心である宇佐美定行に相談しました。
命を受けた定行は、舟遊びをしようと政景を野尻湖へ誘いました。
そして、湖の中央まできたところで、あらかじめ細工をしていた船底の栓を抜き、共に水底に沈んでいきました。
その後、謙信は家臣に
「息子の景勝が父の死をどう考えているか探れ」
と命じました。
家臣が景勝の元に赴き訊ねたところ
「父は謙信公に忠節を尽くさなかったために死んだのだ。それはいわば天罰というべきもの。謙信公に対して恨みなど持つはずがない。むしろ、身を正して忠節を尽くそうと考えている」
と答えました。
それを聞いた謙信は感心し、景勝を養子にすることを決めたといいます。