城主を助けた美しき若武者の正体は

1600(慶長5)年7月、上杉討伐のために会津に向かっていた徳川家康は、途中の下野小山にて石田三成の挙兵を知り、直ちに小山評定を開いて今後の対応を協議しました。

交通の要所である安濃津城を確保するために、城主である富田信高と伊勢上野城主分部光嘉には先行して帰還するよう命じます。

急ぎ安濃津城へ向かった富田信高ですが、西軍はすぐ近くまで迫っており、家康へ援軍を要請しようにも海上封鎖により連絡は絶たれ、孤立状態となってしまいました。

分部光嘉は、上野城は守るに足りないと判断して放棄し、安濃津城に合流します。

松坂城の城主古田重勝も西軍に包囲される中、兵力を割いて安濃津城へ援軍を送り、結局、信高は1600~1700の兵と籠城することになりました。

1600(慶長5)年8月、安濃津城は西軍3万の兵に囲まれました。

寡兵ながら奮戦するも次第に追い詰められ、城主信高が自ら本丸で戦うほどの状況になりました。

周りを敵が埋め尽くし討死を覚悟したその時、緋縅の具足を身に着けた見目麗しい一人の若武者が槍を提げて現れ、瞬く間に5、6人の敵兵を倒しました。

信高は見たことがない武将だったので

「あの若武者は、そなたの家臣か?」

と、加勢に駆けつけた分部の弟右馬助に尋ねました。

右馬助は、

「見かけたことがなく、我が軍の者ではありません」

と答えました。

そこで右馬助がその若武者の兜の内側を覗いたところ、年は24~25くらいで化粧をしていました。

驚いた右馬助は、信高のもとへ行き

「あの若武者は眉を描き歯黒をつけ、爪紅をさしています。女に違いありません」

と告げました。

信高は攻め込んできた敵を追い返してその若武者に近付こうとしたところ、若武者のほうから近寄ってきてこう言いました。

「嬉しゅうございます。討死されたと聞いて、私も一緒に討死しようと鎧を着け出てまいりました。生きてお目にかかれて嬉しくて何も申せません」

信高は仰天しました。

この若武者は何と、信高の妻だったのです。

これには、見る人聞く人が驚いたといいます。

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