• 2月 2, 2020
  • 3月 14, 2020

お市の方は、信長の妹ではなかった

お市の方は、織田信秀の五女で織田信長の13歳年下の妹です。 近江の大名・浅井長政に嫁ぎ、政略結婚ながらも一男三女をもうける仲睦まじい夫婦だったといわれています。 夫の長政は信長と敵対したため攻められ自害し、後に嫁いだ柴田勝家は豊臣 […]

  • 2月 2, 2020
  • 2月 16, 2020

北条氏康、幼少の頃は臆病だった

生涯の戦いの中で一度として敵に後ろを見せたことがないといわれる北条氏康ですが、子供の頃はとても臆病だったと伝えられています。 北条氏康が12歳の頃、小田原に鉄砲が伝わりました。 さっそく、家臣たちは皆で撃ち方の練習を始めました。 […]

  • 2月 2, 2020
  • 2月 16, 2020

細川幽斎が歌道を始めた理由

細川幽斎は若い頃、歌道は公家や女性のするもので、武士たる者が嗜むものではないといって興味を示しませんでした。 ある戦いでのことです。 幽斎が敵を追っていくと、そこには乗り捨てた馬だけが残っていて人影がありませんでした。 もう敵は遠 […]

  • 2月 2, 2020
  • 2月 16, 2020

黒田如水が初めて知った茶の味

黒田如水は、茶の湯が武将たちの間で流行りだした頃、刀も持たずに狭い部屋で人と席を共にするなど不用心きわまりないといって興味を示しませんでした。 ある日のこと、主人である豊臣秀吉から茶の湯に誘われました。他の者であれば断るところです […]

  • 2月 2, 2020
  • 2月 16, 2020

瓢箪から駒を実演する伊達政宗

大坂冬の陣でのことです。 豊臣側との和睦が成立し、暇になった諸将たちは景品を持ち寄って香合わせをすることにしました。 香合わせとは、数種類の香木を焚き、その種類を当てる遊びのことです。 徳川方として参戦していた伊達政宗もこの遊びに […]

  • 2月 2, 2020
  • 2月 16, 2020

加藤清正、遺言状は残さない

加藤清正が朝鮮に出兵していたときのことです。 清正は、同じように出兵してきている諸将とともに、秀吉に宛てて報告書を作成していました。 報告書の最後に署名をし、花押を添えました。 花押とは今でいうサインのようなもので、署名には花押を […]

  • 2月 1, 2020
  • 2月 16, 2020

豊臣秀吉、松茸狩りで上機嫌

ある秋の日のこと、秀吉は松茸狩りに出掛けたいと家臣に告げました。 そこで家臣たちが山に下見に行きますと、松茸は民衆に採りつくされてほとんど残っていませんでした。 肝心の松茸が無いのでは松茸狩りができません。 家臣たちは大急ぎで方々 […]

  • 2月 1, 2020
  • 2月 16, 2020

城主を助けた美しき若武者の正体は

1600(慶長5)年7月、上杉討伐のために会津に向かっていた徳川家康は、途中の下野小山にて石田三成の挙兵を知り、直ちに小山評定を開いて今後の対応を協議しました。 交通の要所である安濃津城を確保するために、城主である富田信高と伊勢上 […]

  • 2月 1, 2020
  • 2月 16, 2020

織田信長、自ら膳を運ぶ

宣教師ルイス・フロイスが日本を訪れ、安土城で信長に謁見したときのことです。 そのとき信長は、フロイスに一言も言葉を掛けませんでした。 信長の様子は、手で合図するだけで家臣を動かしたり、一言声を発するだけで即座に何人もの家臣が返事を […]