伊達政宗(だて まさむね)は、奥羽の戦国大名で伊達氏の第17代当主。仙台藩の初代藩主です。
出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗の嫡男として生まれました。
「政宗」の名は、父の輝宗が伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかって名づけたもので、この大膳大夫政宗と区別するために藤次郎政宗と呼ばれることもあります。
18歳で家督を継いだ後に近隣諸国を次々と制圧し、奥羽のほぼ全域を掌握しました。
豊臣家・徳川家に服属しながらも天下統一への野望を持ち続け、家臣の支倉常長をメキシコ・スペイン・ローマにまで派遣して海外貿易を試みますが、いずれも失敗に終わりました。
幼少時に患った天然痘の後遺症により右目を失明し、隻眼となったことから後に「独眼竜」と呼ばれるようになります。
家系
始祖・先祖
伊達氏は、藤原鎌足の孫・藤原房前を祖とする藤原北家の流れをくんでいます。
源頼朝の従兄である中村朝宗は、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で行われた戦い「奥州合戦」で功を上げ、陸奥国伊達郡を与えられました。
これを機に姓を伊達と改め、伊達宗家初代当主となりました。
容姿
身長
159.4cm
発掘された遺骨から判明しました。
血液型
B型
発掘された遺骨から判明しました。
家紋
定紋
仙台笹
政宗の曽祖父・稙宗の母が越後国守護の上杉定実の娘(または姉)という関係から、稙宗の次男・実元を定実の養子とする話が起こります。
このときに引き出物として、上杉家から伊達家に「竹に雀紋」が贈られました。
ところが、伊達家の内紛により養子の話が寸前で破談となってしまいました。
しかし、稙宗は「いったんもらった家紋は返せない」と言いはり、上杉家は仕方なくそれを認めたといいます。
替紋
丸に内にしない三つ引、丸に内に竪三つ引
簡易年表
- 1567年(1歳)伊達氏第16代当主・伊達輝宗の長男として生まれる。
- 1577年(11歳)元服して藤次郎政宗と称する。
- 1579年(13歳)三春城主・田村清顕の娘・愛姫(伊達政宗と同じく伊達稙宗を曽祖父にもつ)を正室に迎える。
- 1581年(15歳)隣接する戦国大名・相馬氏との合戦で初陣を飾る。
- 1584年(18歳)父・輝宗の隠居にともない家督を相続し、伊達家第17代当主となる。
- 1590年(24歳)豊臣秀吉の臣下に降る。
- 1592年(26歳)文禄の役(朝鮮出兵)に参戦。
- 1600年(34歳)関ヶ原の戦いに徳川家の東軍として従軍。
- 1601年(35歳)仙台城を築城し居城とし、初代仙台藩主に。
- 1613年(47歳)家臣の支倉常長ら一行をヨーロッパに派遣。
- 1614年(48歳)大坂冬の陣に参陣。
- 1636年(70歳)江戸桜田屋敷において死去。死因は癌性腹膜炎あるいは食道癌(食道噴門癌)と推定されている。